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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)5913号 判決 1977年10月28日

原告

松井藤一郎

被告

吉野丈次

ほか二名

主文

被告吉野丈次は、原告に対し、金四二一万八六三六円およびうち金三八三万八六三六円に対する昭和五〇年一二月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。原告の被告佐々木成広、被告崎口精二に対する各請求および被告吉野丈次に対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告と被告佐々木、同崎口との間に生じた分はこれを全部原告の負担とし、原告と被告吉野との間に生じた分はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その二を被告吉野の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは各自、原告に対し、金六二四万七五六円およびうち金五六七万四七五六円につき右被告に本訴状が送達された日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四八年一月一六日午前六時三〇分頃

2  場所 大阪府堺市松屋町二丁一二八番地先

3  加害車(甲) 普通貨物自動車(泉四四す三三―六一)

右運転者 被告吉野

加害車(乙) 普通貨客自動車―ライトバン(大阪四四ら一九―五五)

右運転者 被告佐々木

4  被害者 原告

5  態様 原告が普通乗用自動車(泉五五む四二―〇〇)を運転して北から南へ進行中、前方二〇メートルくらいの所で、南から北へ進行中の被告吉野運転の加害車(甲)が、急にセンターラインを越えて反対側車線に侵入して原告車と衝突、原告車の後方を進行中の被告佐々木運転の加害車(乙)が原告車に追突したもの。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自動車損害賠償保障法三条)

被告吉野は、加害車(甲)を所有し、これを自己の営業(鮮魚商)のために使用し、被告崎口は、加害車(乙)を所有し、それぞれ自己のために運行の用に供していた。

2  不法行為責任(民法七〇九条)

(一) 被告吉野は、冬期の早朝で濃霧が発生しており、道路も凍結していたのであるから、自動車運転者としては自己運転車両のハンドル、ブレーキ等の装置を確実に操作して、道路の中央線より左側部分を通行しなければならない注意義務があるのに、これを怠り、自車の進路から中央線を超えて南行車専用の路上にとび出した過失により、おりから南進中の原告運転車両に自車を衝突させ、その衝撃で原告を負傷させた。

(二) 被告佐々木は、自動車運転中は絶えず進路前方を注視し、先行車との間に適当な車間距離を保持しつつ進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然原告運転車に追従進行していたため、原告車が被告吉野車に衝突されて停車するや、原告車の後部へ自車を追突させ、その衝撃により原告に負傷させた。

三  損害

1  受傷、治療経過等

原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型、頸椎捻挫、右前頭部打撲、血腫、両肩、両上腕挫傷、胸部、両膝部、下腹部打撲、左橈骨、左足跟骨々折、両膝部裂創、両足関節左アキレス部挫傷創の傷害をうけ、事故当日阪堺病院にて救急治療をうけた後、同日から大阪府済生会泉尾病院に昭和四八年三月三日まで入院、昭和四九年一月三一日までの間に六二日通院して治療をうけ、翌二月一日から昭和五〇年一〇月一日までに四五日通院して治療をうけたが、未だに腰痛、右膝部鈍痛、右足関節および足痛、左手関節鈍痛、時々発作的に右側頭痛等が続いている。(さらに原告所有自動車は購入後二〇日間位しか経つていないものであつたが、全損となつた。)

2  治療関係費

(一) 転医救急車代 四〇〇〇円

(二) 入院雑費 一万四四〇〇円

入院中一日三〇〇円の割合による四八日分

(三) 入院付添費 六万二四〇〇円

入院中妻が付添い、一日一三〇〇円の割合による四八日分

(四) 診断書料 二〇〇〇円

3  休業損害

原告は事故当時、一日平均七四八八円の収入(事故前年度所得二七三万三三八九円を三六五分した額)を得ていたが、本件事故により四七日間入院(この間は全額)、退院後も七か月間は労務に服することができず、この間は平均して前記日額の六〇%の収入(以上合計一二九万五二五六円)を失つた。

4  代人雇入れ費用

(一) 原告は製鋼原料、機械解体を営む者であるが、従業員八名を使つている関係からも、休業閉店することもできないので、原告に代つて連絡と自動車の運転に当らせるため、昭和四八年一月二〇日から同年二月二八日まで訴外石戸義尊を使用し、同人に八万七〇〇〇円を支払つた。

(二) また原告は事故当時解体作業を請負つていたが、本件事故のため期間内にできなくなつたので、訴外坂本裕重にこれを外注し、昭和四八年三月二日から同年九月二〇日までの間における外注費、代りの使用人としての人夫賃も含め、合計一一八万二〇〇円を支払つた。

(三) 原告が現場に行けなかつたので、写真を撮影してきて貰い、それにより判断したが、その出張写真代四〇〇〇円を支払つた。

以上のとおり、原告の営業はその時期を失すると、業者から原料を仕入れることも、供給即ち売上げもできないので、相当期間仕事がなくなる事態になるのを避けるため、止むなく代人を使用したものである。

5  慰藉料

原告はさきに治療経過の項でふれたとおりの症状で、昭和四九年一〇月一日以後も尚通院治療を続けている。

つぎに前記のとおり原告は零細商店主であり、自らが先頭に立つて買付、入札、販売から機械解体作業、トラツクの運転まで行わなければ営業が成立つていかないし、得意先には一定契約の数量を期間内に納入しなければならないが、本件事故のため原告が得意先に及ぼした迷惑は大きなもので、信用も失墜した。

また得意先に納入する量を確保するには常に買付、解体等を一日も休むことなく続けて行かなければならないので、原告が入院したことにより事業経営に与えた打撃は甚大であつた。

さらに家庭においては、長男が事故当時高校三年で、進学を希望し努力もしていたが、原告である父親が入院し、母親が付添看護のため家庭が留守になり勝ちであつたため、進学を断念し家業を手伝わせる結果となつた。

後遺障害については、本件事故での受傷後、頭部、頸部の発作的な痛みが続いており、自動車の運転や入札価額の判断などを続けて行なうことができず、左手足関節の鈍痛があつて機械解体等の作業も全くできないので、代りの使用人を入れて経営を続けている状況で、後遺障害の程度は自賠責等級表の第九級一四号(神経系統の機能に障害を残し服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)に該当する。以上の事由から、傷害入院治療中は一日五〇〇〇円の(四七日)、通院、家庭療養中は一日二五〇〇円(一〇七日)の割合で、さらに後遺障害、生活に対する打撃、事業に及ぼした影響等に対し二六一万円、合計三一一万二五〇〇円を慰藉料として請求する。

6  弁護士費用 五六万六〇〇〇円

四  本訴請求

よつて請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。ただし弁護士費用に対する遅延損害金は請求しない。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

被告吉野

一は総べて認める。

二の1については、被告吉野が自己の商品運搬のため本件車両(甲)を運行していたことは認める。

二の2(一)については、被告吉野車が対向車線に出たのは冬期路面凍結によるスリツプのためで、同被告に過失はなく不可抗力ともいうべきものであつた。

三は傷害の内容を含め総べて不知。

(原告の症状について)

原告の受傷は昭和四九年一二月には、頭部外傷と頸部捻挫を除いてはほゞ治癒していたものとみられるほか、原告は昭和四八年三月三日に退院しているが、入院中時折り帰宅した際に自からフオークリフトを運転して仕事をしたり、同じく入院中に被告吉野が賠償として提供した新車を試乗していたこともあつた。さらに原告の後遺障害の程度は自賠責保険上の査定では第一二級一二号と認定されている。

(原告の休業損害、代人雇入れ費用について)

原告は入院中から仕事のため外出しており、昭和四八年一月には一三回、二月には一〇回もほゞ終日に亘り外出している。これらはもとより止むなく仕事をせざるを得なかつた事情があつたのであろうとは考えるものゝ、入院中においてさえ、かくも頻繁にしかもほゞ終日に亘り仕事をしていた原告が退院後七か月間も「全く労務に服することができなかつた」ということは到底首肯できない。

以上のことからも、入院期間中の休業損害を算出するにあたつても、その基礎を原告主張の収入日額全額とすることは不当であり、退院後の損害にあつても、右日額の六〇%もの減収になつたという点も、原告がその業務に従業員八名を使つておるとしながら、その業態(鉄鋼原材商)からみても、原告の稼働低下によつて六〇%もの減収を招いたとすることは、原告が普通に働いているときでも、従業員八名は原告の収入に四〇%程度しか寄与していないということになるのであつて、これまた容易に納得できないところである。

つぎに、原告が訴外坂本裕重に支払つたとする一一八万二〇〇円の内容は作業人夫賃とレール切断加工費であるところ、鉄鋼類の解体作業には人夫を入れることも切断加工もいずれも不可欠のものとみられるから、これらの支出は原告が請負つた解体作業にいずれにしろ必然的に要する経費といえる。従つて右支出は本件事故による損害とはいえない。仮に右支出が原告の本件事故による稼働低下によるものとしても、当然のことながら、原告は右請負遂行により注文主から請負代金の支払をうけ、利益を上げている筈であるから、右支出をもつて直ちに損害とすることはできないものである。

被告佐々木

一の1ないし4は認める。

一の5については、被告佐々木は小型四輪貨客自動車を運転して原告車の左後方を原告車と同一方向に進行していたところ、南から北へ進行中の被告吉野運転の小型四輪貨物自動車が急にセンターラインを超えて反対側車線に進入し、原告車と衝突して、原告車が被告佐々木運転の自動車の進路上に急に斜めになつて停車したので、同被告は急制動の措置をとつたが間に合わず原告車左側に衝突したもので、原告主張の如く原告車に追突したものではない。

二の2(二)については否認。被告佐々木には過失は全くなく、原告と被告吉野の過失により本件衝突事故が発生したのである。

三は傷害の内容を含め総べて不知。

被告崎口

一は総べて不知。

二の1のうち被告崎口が加害車(乙)を所有し、自己のため運行の用に供していたとの事実は否認。同自動車は被告佐々木の所有であり、且つ同人が自己のため運行の用に供していたものである。

三は総べて不知。

第四被告吉野丈次の主張

一  免責

被告吉野は本件道路を大阪方面に向つて北進中、事故現場の手前約一五〇メートルの信号で停止した後、左側を並進していた軽四輪自動車と並行して発進し、時速三五キロメートルで事故現場である阪堺大橋にさしかゝつたところ、自車左側を並進していた軽四輪車が自車の方に五〇~六〇センチメートルの間隔にまで寄つてきた。

そこで中央寄りを走行していた被告吉野としては、右に寄ると危険と考え真直ぐ走行しようとしたが、軽四輪車が何故かさらに吉野車との間隔を狭めて吉野車の方に寄つて来たので、被告吉野はこれとの接触を避けるため少し自車を右に寄せるべく、心もちハンドルをやゝ右に(センターライン寄りに)切つたところ、車が右に滑り始めたので、対向車線への侵入を回避すべく左転把したが、スリツプはとまらず、そのまゝ対向車線に車首が進入したものである。

被告吉野はこのような道路の状況(凍結)下で制動することは危険だと考えていたので終始ブレーキを踏むことは避けていた。

ところで、吉野車の走行速度は時速三五キロメートルであり、この速度自体がスリツプを招く程のものとは到底考えられず、現に前記信号での停止時点で、被告吉野車の先行車(乗用車)があり、その先行車は吉野車より早い速度で吉野車を引き離して無事走つているのであり、軽四輪車も吉野車と同速度であつたが、スリツプしていないし、本件道路で本件事故当時通行車両は多かつたが、スリツプした車両は無かつた。また被告吉野が並進中に自車側に寄つて来た軽四輪車との接触を避けるため、やゝ右転把したことも、自動車運転者として接触の危険回避のための当然の措置であり、しかもこの転把も決して急に転把したものではなく、徐々にやゝ右に寄せるという程度の極めて慎重なものであつた。次に車が急に右方向に滑り出した時左転把したことも運転者のとつさの心理としても、また滑走を阻止しようとするためにも当然の措置であり、ブレーキを踏まなかつたのももとより正しい措置で、凍結路上での急制動は極めて危険な操作であることは言うまでもない。被告吉野車には何らの欠陥も機能障害もなかつたもので、スリツプの原因となりやすいタイヤの摩耗は全くなかつた。従つて、スリツプについては第三者たる右軽四輪車の運転者が殊更その必要もないのに、並進中被告吉野車に自車を寄せたという過失に起因するものというべきである。仮に右第三者の右行為が過失とみられず、または右第三者の行為と被告吉野車のスリツプとの間に因果関係がないとするならば、前述のとおり被告吉野には本件スリツプについて何ら運転上の過失はなく、そして本件事故が被告吉野車のスリツプによつて生じたことは明らかであるから、自賠法三条但書の第三者の故意・過失の存否は本件事故と無関係というべきである。

二  損害の填補

原告は昭和五一年三月に自賠責保険より金五二万円の支払を受けているので、被告吉野において損害賠償責任を負うと認められる場合には、損害額より右金額を控除すべきである。

第五被告吉野の主張に対する原告の反論

一  免責の抗弁については否認。

二  原告の後遺障害の程度、内容については、甲第一一号証によつても、(1)右大後頭神経不全麻痺による同神経に沿つた部分に頑固な圧痛、灼熱痛がある。発作的に頭痛・頭重感を繰返している。ロンベルグ症候陽性。(2)左尺骨神経の不全麻痺。而して就労能力等に及ぼす支障の程度としては、(1)により精密な作業不能、車の運転には危険が伴ない難しい。(2)により左手で物がつかみにくい。以上(1)(2)により精神的不安を加えて作業能力に相当の低下を来していると診断されており、原告本人も現在なお痛みが残つており仕事も不自由であると、その本人尋問の際にも供述している。従つて自賠責保険の後遺障害等級表によつても、少くとも第九級一四号の「服することができる労務が相当程度に制限されるもの」との条件は具備しているものと考えられる。

しかるに、乙第二号証の損害認定表によると、「局部に頑固な神経症状を残すもの」であるとし、第一二級一二号と認定しているが、この認定は障害内容の(1)の一部のみを認め、(2)を全く看過しているもので、甲第一一号証の診断の真意を誤認しており不当である。

三  休業損害については、原告としては入院加療していたのであつたから、本来なら安静にしておるべきであつたが、業務の性質上余人をもつてはできないことがあつたので、止むを得ず激痛を忍びながらも医師の許可を得て治療に差支えない範囲の外出をしたもので、これをしないで大損害を受け、より以上に被告に賠償を求めない為、自ら行ない、それでも代人にできることは代人にやらせたもので、被告吉野も原告の負傷に同情し、入院中も度々見舞に訪れていたので、原告が業務の性質上止むなく重患で包帯もしていて外見も悪いのをおして外出していたことは知悉している筈である。

証拠〔略〕

理由

一  請求原因一の1ないし4の事実は、原告、被告吉野、同佐々木間に争いがなく、さらに一の5および同二の1のうち被告吉野が本件事故当時自己の商品(鮮魚)運搬のため本件加害車(甲)を運行していた事実は、原告、被告吉野間に争いがないところ、右事実によれば、被告吉野においては自動車損害賠償保障法三条により、後記免責の抗弁が認められない限り、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  責任

(一)  被告崎口の運行供用者責任

成立に争いのない甲第一八号証の一、二、被告佐々木成広、同崎口精二各本人尋問の結果によると、被告佐々木は本件事故当時自己所有の加害車(乙)を使つて被告崎口の経営する「鉄砲寿司」から仕入れた寿司を毎日パン屋等の店頭に卸すのを業とし、これにより販売価額の一五ないし二〇%の利益を得ていたこと、被告崎口は被告佐々木が以前自分の店に勤めていた関係もあつて、被告佐々木が右自動車を大阪トヨタから購入するにあたつてその代金支払につき保証債務を負担したことはあるが、それ以外にはその自動車を自己の営業等のため使用したこともなければ、被告佐々木との間には使用・被用等指揮・監督の及ぶ関係にもなかつたことが認められる。そうすると結局被告崎口が本件加害車(乙)を自己のために運行の用に供していたものと認めることはできないので、同被告に対する請求はその余の判断に及ぶまでもなく理由がない。

(二)  本件事故の態様

成立に争いのない甲第一三号証の一、二、甲第一四号証、甲第一五号証の一、二、三、甲第一六号証の一、二、甲第一七号証、甲第一八号証の一、二、甲第一九号証、甲第二四号証に、原告松井藤一郎、被告吉野丈次、被告佐々木成広各本人尋問の結果を綜合すると、つぎの事実が認められる。

事故発生現場は府道臨海線阪堺大橋上であつて、車道幅員は北行・南行車線とも六・三メートルずつで中央線がひかれ、この線は黄色で表示されていること、同所付近の前方の見通しは南北いずれの方向からもよいが、アスフアルト舗装された平たんな路面は事故当時凍結状態であつたこと。

ところで、被告吉野は当日道路の所々で氷が張つていたり、道路が凍結しているとのニユースもラジオの報道によつて知つていたので、時速約三五キロメートルくらいで加害車(甲)を運転して道路中央線寄りを北進し、阪堺大橋南端あたりにさしかゝつたころ、それまでも自車の左側を並進していた軽四輪自動車が右大橋の上はそれまでより道路幅員が幾分狭くなることもあつて、自車の方に接近して並進しだし、両車の側方間隔が一メートル足らずになつたので、これまでも何回となく通つていることから右大橋の上が凍結しやすい所であることもよく判つていた吉野としてはハンドルを厳格に保持して進行しなければならないと思いながらも、接近してきた軽四輪がなお接近してくるのではないかと感じられたので、そちらの方に注意を払いつつ側方間隔をあけようとして、いささか不用意にハンドルを右に切り過ぎたため、自車(車長四・六七メートル、車幅一・六九メートル)が急に滑走しはじめ右斜目前方に走行して対向車線内に車首部分を進入せしめた結果、おりから対向車線内の中央線寄りを走行してきていた原告運転車右前部に自車右前部を衝突させ原告を負傷させた。

他方、被告佐々木は原告運転車(車幅一・六二メートル、車長四・三二メートル)の左後方を本件加害車(乙)を運転して追従南進していたのであるが、原告車の走行速度が割合遅かつたことと、道幅からみて原告車の左側が三メートル以上も空いており充分通り抜けられるだけの余裕があつたので、左側から原告車を追い抜こうと時速三五ないし四〇キロメートルで原告車後部約三メートル余にまで接近したころ突然衝撃音と共に右前を走行していた原告車が斜めになつて自車進路を遮つたのでとつさに幾分か左にハンドルを切つたが及ばず、自車前部が原告車左後部ドア付近に衝突したあと原告車後部とも衝突した。

右認定事実によれば、被告吉野についてはその自動車の運転につき自動車運転者として過失がなかつたものとは認められないので、この点において同被告の免責の抗弁は理由がない。つぎに被告佐々木についてはいまだその自動車の運転につき原告主張の前方不注意、車間距離不保持等の過失があり、右過失に起因して本件事故が発生したものとは認められず(却つて過失はなかつたものと認められる)結局被告佐々木の過失を認めるに足る証拠がないことに帰するので、同被告に対する原告の請求はその余について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

三  損害

1  受傷、治療経過等

証人松井富貴子の証言、原告本人尋問の結果とこれらによりいずれも真正に成立したものと認められる甲第三ないし甲第六号証、甲第一一号証によれば、原告は本件事故により、頭部外傷Ⅱ型、胸部打撲、両足関節捻挫、頸椎捻挫、左橈骨末端骨折、下腹部打撲、右前頭部打撲および血腫、両膝関節打撲、右足跟骨々折、両肩および両側上腕挫傷、両膝部裂創、左アキレス腱挫傷の傷害を負い、受傷当日の昭和四八年一月一六日阪堺病院で応急的処置を受けた後、自宅にも近い大阪市大正区内の大阪府済生会泉尾病院に移り、同年三月三日まで四七日間入院、翌四日から昭和五〇年九月五日まで同病院に通院して治療を受けた(実通院日数は一一一日、このうち昭和四九年一月三一日までに六五日間通院している)のち、同日ころ後遺症として自覚的には頭痛、頭重感(時々発作的におこる)、右手関節部から右前関節部に異和感(しびれ感)、知覚がにぶい、右膝、右かかとに力が入らない、ふんばりがきかない、即ちながく立つていられない、重量物を持ち上げられない、疲れやすい、右耳鳴が続いている等の症状があり、他覚症状および検査結果では左手背から左前腕に知覚鈍麻がある、右膝下に圧痛、膝を屈曲させると頑固な疼痛を遺している、右膝部に横走する四センチメートルの瘢痕がありやゝ突張る、両肩関節周囲に圧痛がある、肩が痛いため両上肢が素早く円滑に挙上できない、平常は二五〇ヘルツ付近、頭痛があるときは五〇〇ヘルツ付近の耳鳴(右)が続いている。これらの障害が就労能力等に及ぼす影響としては(1)右大後頭神経不全麻痺による同神経に沿つた部分に頑固な圧痛、灼熱痛があり、発作的に頭痛、頭重感を繰り返している(2)左尺骨神経の不全麻痺、このため(1)により精密な作業ができない、自動車の運転にも危険が伴ない難しい。(2)により左手で物がつかみにくい。それに精神的不安が加わり作業能力に相当の低下を来たす。今後にあつても機能の回復は望めず、筋肉萎縮等の進行により筋力低下、関筋の屈曲範囲が狭くなる虞があること等の事実が認められる。

2  治療関係費

(一)  治療費

成立に争いのない乙第三号証と証人松井富貴子の証言および原告本人尋問の結果、これらにより成立を認められる甲第七号証によれば、事故当日原告を病院まで搬送した車代として金四〇〇〇円、大阪府済生会泉尾病院より交付された診断書料として金二〇〇〇円をそれぞれ原告において支払つたことが認められる。

(二)  入院雑費

原告が四七日間入院したことは、前記のとおりであり、右入院期間中一日三〇〇円の割合による合計金一万四一〇〇円の入院雑費を要したことは、経験則上これを認めることができる。右金額を超える分についてはこれを認めるに足る証拠がない。

(三)  入院付添費

証人松井富貴子の証言および原告本人尋問の結果と経験則によれば、原告は前記入院期間中付添看護を要し、その間妻富貴子が付添い一日一二〇〇円の割合による合計金五万六四〇〇円の損害を被つたことが認められる。右金額を超える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

3  代人雇入れ費用

(一)  証人松井富貴子の証言および原告本人尋問の結果とこれらにより成立を認め得る甲第九号証の一の一、二、甲第九号証の二の一、二を綜合すると、原告は本件事故による受傷のため自動車の運転ができない状態であつたので、原告が使つている従業員の作業現場への送迎や原告自身が取引の品物を見に出るときに運んで貰つた礼金として(昭和四八年一月二〇日から月末までに一三回、二月中に一〇回利用)、合計金八万七〇〇〇円を大阪市東住吉区平野元町六丁目の石安こと石戸義尊に支払つたことが認められる。

(二)  原告本人尋問の結果とこれによつて成立を認め得る甲第一〇号証によれば、原告が取扱商品を売却するにあたつて、その現品を相手方に見せる必要が生じたが、右受傷のため右相手方を案内できず、これに代えて商品の写真を見せるため、大阪市大正区大正通八丁目のマノ写真に依頼し、商品の写真を撮つてもらい、その代金として金四〇〇〇円を同人に支払つたことが認められる。

(三)  証人松井富貴子の証言、原告本人尋問の結果とこれらによりいずれも成立を認め得る甲第九号証の三ないし一〇の各一、二を綜合すると、原告は本件事故による受傷の結果、事故前にあつては原告が取り仕切つていたレール切断、加工等の作業ができなかつたので、これを昭和四八年三月初めから同年九月二〇日までの間、以前同業であつた大阪市天王寺区北河堀町の瑞穂商会こと坂本裕重に依頼し、合計金一一八万二〇〇円の加工賃等(人夫賃も含む)を支払つたことが認められる。

4  休業損害

証人松井富貴子の証言、原告本人尋問の結果とこれらにより成立を認め得る甲第八号証によれば、原告は本件事故当時松井商店なる屋号で古鉄商を営み、少なくとも日額七四八八円(年収二七三万三三八九円)の収入を得ていたところ、右事故で負傷し、四七日間は入院治療のため就労できなかつたこと、退院後も鋼材切断等の作業はできず、そうかと言つて従業員を抱えて休業してもいられないので、自分でできない作業は前記認定のとおり坂本裕重に依頼(外注)して営業を継続したことが認められる。

そうすると、入院中の四七日分の休業損害についてはこれを認め得るが(但し、解体作業のみならず、従業員送迎のための自動車の運転・材料の買付け、販売も原告が行なつていたことは原告の自認するところであるから、さきに認定した石戸義尊への支払分八万七〇〇〇円と写真代四〇〇〇円は右休業損害を全額認める以上はそのうちから控除すべき筋合のものとなる)、退院後の七か月間に亘る前記日額の六〇%相当分の支払を求める点については、これを認めるに足る証拠がない(因みに原告の主張に従えば、原告がある範囲で(電話での応対等)就労でき、坂本に手伝つてもらつてもなお原告の一日当りの収入が二九九五円程度しかなかつたということになるのであるが、一応営業が継続され、仕事を坂本に外注する以上幾らかの手数料的なものも得られると考え得る状況からしても、容易に右六〇%の減収は容認し難いところである)。

結局この点については、原告の営業継続上の心労として、慰藉料算定にあたつて斟酌すべき事情にとどめざるを得ない。

そこで、原告の本件事故による休業損害は金二六万九三六円となる。

算式(日額七四八八円×四七日分)-九万一〇〇〇円=二六万九三六円

5  慰藉料

本件事故の態様、原告の傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、その他諸般の事情(原告は自賠責保険上でも第一二級一二号の査定を受けながら、本訴において後遺障害による逸失利益としては独立の項を立てることなく、慰藉料において一括請求しているものとみられるので、裁判所においてもこれに対応する分として、年収二七三万三三八九円の一四%の四年間相当分をホフマン式(係数三・五六四三)により中間利息を控除した残額の範囲内で算定考慮する)を考えあわせると、原告の慰藉料額は金二七五万円(入通院治療中を対象に六五万円、後遺障害による精神的・肉体的苦痛を対象として七五万円、前記後遺障害が事業継続に及ぼす影響、特に労働能力低下による事業収入の減収を控え目に算出のうえ一三五万円と算定した)とするのが相当である。

四  損害の填補

原告、被告吉野間において成立に争いのない甲第二六号証、乙第一号証によれば、本件事故による原告の損害に対し自賠責保険金五二万円が支払われている事実が認められる。よつて原告の前記損害額から右填補分を差引くと、残損害額は金三八三万八六三六円となる。

五  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告吉野に対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は金三八万円とするのが相当であると認められる。

六  結論

よつて被告吉野は、原告に対し、金四二一万八六三六円およびうち弁護士費用を除く金三八三万八六三六円につき同被告に対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和五〇年一二月九日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、被告佐々木、同崎口に対する請求および被告吉野に対するその余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき当事者全員の関係で民事訴訟法八九条、原告、被告吉野の関係で同法九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 相瑞一雄)

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